”あそび”はどれくらい? [システムとしての社会とバイク]



 現在、高度な経済生活の恩恵を私たちは受けています。私たちはいつでも必要なときに数々のサービスを受けることができる生活を送っているわけですが、そのような社会を成り立たせるためには、すべての機能を円滑にはたらかせる必要があります。電気、水道、ガス、交通、その他のインフラストラクチャー、これらを滞りなく機能させる必要がありますし、またこの社会はこれらが滞りなく機能することを前提にしています。ですから、私たちの社会的行動もそれなりの高度な、失敗のない、ぐずぐずしないものを求められるのは仕方のないことかもしれません。
 これは”あそび”の少ない社会と言えるでしょう。

 社会のシステムと同じように、バイクというシステムも高度なパフォーマンスを求められると”あそび”が少なくなります。例をバイクのフレームで考えてみます。もともとは柔軟性のある(しかし重い)鉄のフレームがほとんどでしたが、溶接等の技術の向上により、ある時期からアルミフレームが登場しました。軽さと剛性を兼ね備えていることで、アルミフレームを使ったバイクの方が高性能化できます。アルミフレームが登場したての時期は、私もそういうバイクに対するあこがれの気持ちが強かったです。

 しかし、鉄フレーム、アルミフレームどちらも乗ったうえで今思うことは、私は鉄フレームの方がいい、ということです。アルミの場合は”あそび”が少ない分、乗っていて疲れるのです。また限界が高い分、何らかの理由でバイクがふられるなどの事態になったとき対処がむずかしいのです。鉄の場合は”あそび”が多い分リラックスして乗れますし、限界が低い分、危ない状況にいることが事前にわかりやすく、何かあっても全体的にショックを吸収するので慌てることは少ないです。
 ただ、これはどちらがいいということではなく、そのライダーの好みや、バイクの使用される状況に依存することです。優劣の問題ではありません。

 スポーツスターがすごいと思うところは、”あそび”が大きいくせに乗り手にある程度のレベルの乗り方を要求してくるところです。うまく乗れなくてもそれなりには走るけれども、「なんか違う・・・」という感じを乗り手に伝えてきます。うまく乗れているときは、「そうそう、今の乗り方!」というシグナルを送ってくれているような感じがあります。
 また、限界が低そうに思えて実は結構高いです。少しワインディングを走っただけで「攻めてる!」という感じがあり、ドキドキ感がすぐに来るのでバイクの限界が低い印象があるのですが、不安感の少ない楽しいドキドキ感の幅が広く、楽しく走れるので結果的に速く走れてしまいます。

 社会にしてもバイクにしても、システムというものはその全体のバランスが大切です。あそびを大きくとるのか、きっちりした方向でいくのか。よくないのはその両方をいっしょくたにまぜてしまうことです。異質なものを同じシステムの中に含んではならないのです。
 
 聖書にもこんなことが書かれているので載せてみます。
 「『だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする。』」(マタイによる福音書 9:16-17  新共同訳聖書 日本聖書協会)


                                   2003. 5. 2

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