ミーティングと巡礼  (&スポーツスターミーティングのお知らせ)


 ハーレーに乗るようになってから、ときどきミーティングに行くようになりました。
 大規模なミーティングからこじんまりとした少人数のミーティングまでいろいろ行きました。大きいミーティングには大きいなりの、小さいのものには小さいなりの、良さとか面白さがあります。私はどちらかと言えば小さいほうが好きです。小さければ小さいほど、知らない人と話しやすいからです。
 
 ミーティングと、巡礼は構造的にそっくりだと私は思います。

 様々な宗教に巡礼地があり、それを信じる人々がそこを目指して旅をします。巡礼の旅を通して自分と同じ志を持っている人たちに出会うのは楽しいことだと思います。
 いまでこそ変わりつつありますが、ハーレー乗りというのはただのバイク乗りというだけでなく、少し特殊なバイク乗りと言えるかもしれません。そんな中、ミーティングに行くとハーレー乗りがたくさん集まるわけですから、そこで知り合いも増えるでしょうし、それは楽しいことです。

 巡礼というのは、それをすることが大変であればあるほどよい、という価値観を持っているように思います。四国のお遍路さんも、クルマ社会が発達したにもかかわらず、歩きへんろをする人もいますし(『平成娘巡礼記』 月岡祐紀子 著  文春新書)、チベットでは五体投地と言われる、体を地面に伏せながら歩く巡礼者がいます(http://www.tibethouse.jp/news_release/2001/Holy_Quest_Nov15_2001.html)。
 ハーレー乗りの中にも、ただハーレーに乗るだけでなく、わざと大変になるように、例えばハンドルを極端に高くしたりまた逆に低くしたり、セルをはずしてキックでエンジンをかけたり、クラッチを足で操作するように変えたりする人たちがいます。私はここに何か巡礼の場合と同じような求道的なものを感じます。


 ハーレー生活をしばらく続けていると、そこには他にも宗教的生活に見られるのと同じような組織化、権力化、隠遁化、セクト化、世俗化、原理化等があることがわかってきました。


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