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 タバコがなければ生きられない?


 以前に、『「捨てる!」技術』と禁煙のところでも書きましたが、今年(2003年)の10月が来ると、私は禁煙して丸3年になります。
 先日、久しぶりにタバコを吸う夢を見ました。まだ、タバコのことを完全に忘れてはいないのだなと思いました。というより、死ぬまでタバコのことは忘れないだろうと思います。
 
 タバコを吸っていたときは、タバコがなくなったら生きていけないと思っていました。しかし、いつかはやめないといけない、とも思っていました。やめたいのにやめられない。これは、依存症の特徴であり、また、家族関係をはじめとしていろいろな人間関係に見られる共依存のありかたにもよく似ています。

 喫煙者になってから、私はタバコを一日もかかさず14年間吸い続けました。以前に何度か禁煙を試みましたが、それらの時は3時間ほどタバコを辛抱できただけでした。
 アレン・カー 著 『禁煙セラピー』(KKロングセラーズ)に触発され、禁煙を決意し、タバコもライターも持たず家を出た朝の不安な気持ちを今でも思い出せます。そして、なんと、その日一日タバコを吸わずに過ごせました(その時から今まで一本も吸っていません)。
 その日の夜、こう思いました。「タバコのない一日を過ごすことができた!タバコがなくても生きていける!」

 しかし、この気持ちは、禁煙のつらさを軽減するものでもなく、タバコを忘れさせるものでもないのです。


  「これを失えば自分は生きていけない。」と思わせるものはたくさんあります。家族、恋人、仕事、友人、・・・。あげていけば、他にもいろいろ出てくると思います。

 人生の中で、絶対的に大切と思われるものであっても相対化できるでしょうか。
 相対化するためには、苦しいプロセスを経ることになると思われます。
 しかし、たとえ、大切なものを相対化しても、それが、大切かどうかと、それがなかったら生きていけないかどうかは別問題だと思います。
 
 たかがタバコをやめるだけで大げさな話、と思われるかもしれませんが、タバコをやめられない人(私はそうでした)にとっては、大問題です。
 タバコが大問題になりうるのは、他のことが大問題になりうるのと同じです。つまり、お酒やギャンブル、薬物、またそれらに加えて一般的に大事とされていること、家族、恋人、友人、仕事(興味深いことにこれらは時にアディクション[依存・嗜癖]と化します)などです。

 絶対的だと思っていたものを相対化する態度は、時に必要なことだと思います。


                                         2003. 6.27

   
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