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 情報社会と大人の勉強の必要性


 匠 雅音 氏は著書『核家族から単家族へ』(丸善ライブラリー)の中で、歴史の流れの中での人類の社会のあり方を、大きく三つに区切っています。

 1.農耕社会
 2.工業社会
 3.情報社会

 匠 氏によると、<農耕社会>とは、人類が初めて地上に降り立ってから、狩猟・採集の生活をへて、農耕・牧畜など土地を生活資源としていた長い時代をさします。
 <工業社会>とは、産業革命によって工場や会社という労働の場をつくり、土地以外に労働の対象を作り出した時代をさします。
 <情報社会>とは、農業・工業社会がともに物の生産をめざしたのに対して、無形の知識や考え方といった情報が有償で取り引きされる社会をさします。これはコンピューターの登場以降をさし、現在の社会がまさにそうで、現在は情報社会のほんの入り口にたったところだと、彼は言います。

 このような認識は、匠 氏に限らず、多くの人が表明しているところです。私の手元にある他の著作にも、関連したことが書かれています(著者例 :川井健男、堺屋太一、P・ドラッカー、等)


 私見ですが、情報社会といっても、実際にどのような社会になるのかは非常に想像しにくいと思います。これは、かつて農耕社会に生きていた人々が、工業社会を正確に想像できなかったであろうことと、似ていると思います。


 当然ながら、ある人が、その社会で充足して生きていけるかどうかは、その人がどのような能力を備えているかに大きく左右されます。
 
 狩りをして生活している社会(農耕社会)を考えてみましょう。
 獲物をとらえることができたら、うれしいでしょう。それを、彼らの共同体に持って帰って、みんなで食べたら楽しいでしょう。これらの楽しみを享受するには、獲物を探す、矢を射るなどの能力が必要です。また、とらえた獲物をさばくこともできなくてはなりません。

 次に工業社会を考えてみましょう。
 工場で働くのなら、そこで必要とされる能力を備えていなくてはなりません。それにより、月々の給料をもらうのであれば、それを計画的に管理する能力が必要です。また、がんばって働いて、自動車を買ったとします。クルマの運転を楽しむには、運転の能力が必要です。

 非常に単純な例を挙げましたが、工業社会での生活を充実させるのに必要な能力は、農耕社会のそれとはまた少し違ったものです(実際には重なりあう部分があるにしても)。

 同じように、これから情報社会に本格的に移行しようとしている今日、情報社会を充足的に生きるために必要な能力は、工業社会のそれとは違ったものになると考えられます。具体的にどのような能力を身につけるかは、個々人で判断せざるを得ないでしょう。能力を身につけるには”勉強”をしなくてはいけません(工業社会を前提にした学校での勉強のようなものは想像しないで下さい)。
 ここで言う勉強とは、何も子供だけに求められているものではありません。時代の変化はすべての人々に平等に影響を与えます。ですから、子供は子供として、大人は大人として、年配の方は年配者として、この変化に対応しなくてはならないと思います。
 時代が安定していて、変化が少なければ、勉強は子供のすること、大人はすでに備わった能力で十分と言えるでしょう。しかし、今の社会の変化(というか世界の変化)はそんな甘いものではなく、実際、子供よりも大人の方に勉強の必要があると思います。

                                          2003. 6.24


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