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 一般人がホームページを作るということ


 先日、うれしいことがありました。このホームページ(以下、HP)を見た方からメールをいただきました。その内容の一部です。

>僕は就職活動中の大学生です。
>もともと蚊に悩まされてきて、蚊のサイトからこちらのサイトを見つけたのですが、
>英語のお話や、エッセイ、バイクの話などがおもしろくとても納得したのでメールしました。

 今まで、知人からHPの感想のメールが来たことはありましたが、このようなかたちでメールをいただいたのは初めてなので感激しました。HPを作るというのは楽しいことだな、と思いました。

 もちろん、このような好意的なメールをいただければいいのですが、HPを持つことにより、好意的でないメールを受け取るということも充分予想できることです。それは仕方のないことだと思いますし、HPを持つとはそういうことだと思います。
 中島義道氏は、彼が書いた本の読者からひどい便りが来ると書いています(『不幸論』PHP新書)。その便りの内容は、「期待はずれ」「内容は最悪」「金と時間を返せ」等々、なのですが、このことにたいして中島氏は、「物を書いて商品にして売る、ということはこういうこと(ひどい便りも来るということ)なのだ。」と言います。


 ところで、いまのところ、一般人がHPを作るということは特に何か強い動機(皆に訴えたいこと、知ってもらいたいこと、ビジネスにつながること等)がある場合に限られているような印象を私は持つのですが、特にそのような強い動機がなくても、メールアドレスのように、ただ、自分のHPを持つ、というのもいいのではないかと思います。
 想像ですが、ほとんどの人がHPを持っている社会というのは結構楽しいのではないかと考えます。何年も会っていない知り合いのことをふと思い出したとき、その人のHPを見てみる。そしたらその人が今どうしているかがわかる。また、誰かとどこかで知り合い、意気投合する。その人にURLを教えてもらいHPを見てみると更に自分と共通していることを発見する・・・。などなど、人と人とのつながりがどんどん発展するではないかと思います。

 社会がこのような状況になるのはもっと先のことだと思います。ただ、現在でも、メディアリテラシー(literacy:読み書き能力のこと)などと言われて、私たち情報の受け手一人一人が情報を鵜呑みにせず、読み解くことができるようにしようという機運が高まってきています。個人が情報を識別する能力を求められる社会状況が、さらには、個人が情報を発信していく能力を求められる状況に変わるであろうことは、容易に予想できます。

 このような社会状況の変化に対応すべく、私も今のうちに試行錯誤しておこうと思います。


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                                 2003. 5. 5