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 オヤジという概念と女性専用車両の未来


 街の中で一部の女性を見て「オッサンみたい」と思うことが私にはよくあります。一部の女性というのは、女子高生であったり、OLであったり、おばさんであったり、年齢的には様々なのですが、彼女たちの話し方とか態度とか、全体的な雰囲気に何かオヤジ的なものが共通して漂っているのを感じます。

 女性がオヤジとはこれいかに? との私の疑問に答えてくれる文章がありました。

 『オヤジは年齢・性別カテゴリーではありません。若くてもオヤジはいますし、女でもオヤジになります。つまりオヤジとはこの社会で既得権をもった人々の別名です。』(『サヨナラ学校化社会』 上野千鶴子 著  太郎次郎社

 この社会で既得権をもっている、つまり、今のシステムの中にいれば損をしない(というより得をする)、文句を言われない、努力をせずとも生きていける、こういうグループに属している人々の総称を「オヤジ」というのだと、上野氏は言っているようです。
 なるほど、そのような立場に人が置かれると、態度が横柄になるのは当然と言えます。いままでは、そのようなオヤジ的立場に立てるのは中年男性に限られていました。これは、農業社会、工業社会の特徴と言えます。(このことについては『核家族から単家族へ』 匠 雅音 著 丸善ライブラリー229 が詳しいです。)


 「オヤジ」が性別を前提としない概念であるとしたら、「女性」の概念はどうでしょうか。
 
 いまのところ生物学的な意味での女性しか子供を産めませんが、科学技術の発達によりこれは将来どうなるかわかりません。また、子供に対する考え方もその時代や地域によって大きな違いがあり、子供に対しては"かわいい"という対象よりも、労働力としての期待の方がはるかに高いという時代が日本にもありましたし、また世界にはそういう地域がまだまだあります(『子供という価値』 柏木惠子 著 中公新書)。
 だから、子供を生むという狭い意味だけでなく、社会から労働力として期待される何か(老人介護のためのシステム作り、介護用ロボット、子供の教育のためのコンピューターソフトウエア、働く両親のための保育システムの構築、等々)を生める、作り出せる、という意味では、そのような仕事についたり、その能力がある人は、男女に限らずおられます。また、マネージャー的、サポート的、内助の功的な仕事やその能力を持っている人も男女を問わずおられるでしょう。それに、かつては女性的な魅力と言われたやさしさやしおらしさ、おだやかさ、中には美しさを兼ね備えた男性もいます。
 
 だから、「女性」という概念に性別の前提を必要としないという時代が来るかもしれません。

 社会のニーズに応えられる能力を持った人が通勤途上で性的な被害にあい、その社会的能力を発揮する機会を妨げられるおそれがある場合、社会はその人たちを守らないといけないでしょう。またそのような能力と仕事を持つ生物学的男性が性的被害にあうということも考えられると思います。


 1955年、アメリカで、黒人女性のローザ・パークスがバスの車内で白人に席を譲ることを拒否したことが、アメリカの公民権運動の発端となりました。これと同じような構造をもつ出来事が、将来、女性専用車両で起こるかもしれません。性別の壁を崩す新しいマーチン・ルーサー・キングが登場したりして。


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