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 お金を払ってでも教えたい!


 私には英語の大切な生徒さんがいます。職場の先輩のAさんです。
 このAさん、なんでも努力をする方で、常に体を鍛えているし、英語も勉強されています。

 ありがたいことに、Aさんは、英語を勉強する中でわからないことがあると、よく私に尋ねてくださいます。まあいえば、リピーターになってくださったわけです。私のつたない説明の仕方でも気に入っていただけたようです。
 分からないことって、本来質問できないはずなのです。仮に、ここが、こういうふうに分からないと、質問できたとしたら、それはもうほとんど分かっている(頭のなかで分けられている、区別されている)状態といっていいでしょう。

 Aさんの質問でもそういううまく区別がついていない時が時々あります。Aさん自身も何と質問したらいいのかわからないけど、なんとなくこのあたりがわからない、というような感じです。
 もちろん、私自身もAさんのつまづいているところを初めはうまくつかめません。そういう時に、私が、「それはこういうことですか・・・?」というところから、お互いに話し合いながら、核心部分に迫れたとき、そして、両者とも納得がいったとき、ほんとうにうれしいですね(大人の勉強ってつまりは納得することだと思います)。パズルの最後の1ピースがバシッとはまった感じです。こういうとき、私は本当に嬉しくおもいます。

 逆にうまくいかないとき、両者が歩み寄れないというか、波長が合わないとき、これはだめですね。なんとかわかってもらおうとがんばればがんばるほど逆効果、気がつけば自分一人がしゃべっているだけ。これ以上聞いても仕方ないのに、Aさんに気を使わせて、聞き役になってもらっているだけ。オレ一人しゃべって、それでおしましだったなぁ・・・。と、しょんぼりしてしまいます。

 Aさんは、時々、お礼と称してコーヒーをおごってくれたりするのですが、私自身は、こちらがお礼しないといけないような気がしています。
 だれでも、自分の知っていることは、人に教えたくなるものです。自分の意見を人に聞いてもらうのは嬉しいことです。逆に、だまって人の話を聞いてそれを理解することは苦しいことです。言い返したくても言い返せない状況ならほとんど拷問です。


 私は常日頃から、「生徒」という職業があってもいいんじゃないかなと思っています。「生徒」という職業は、授業を受けるごとに報酬をえることが出来ます。
 お金を払うのは「教師」です。「教師」は自分が正しいと思うこと、自分が学び、研究し、大切だと思うことを自由に「生徒」に教えることができます。
 「生徒」は報酬をもらっているわけですから、真剣に学ばなくてはなりません。そして、学ぶ内容は、正しいことかどうか、とか、社会で役立つかどうか、ということでなく、「教師」が正しいと思っていること、「教師」が「生徒」に伝えたいこと、でなくてはなりません。
 よい「生徒」になるには、たとえば、「教師」のいいたいことを即座に理解して、さらに先回りし、「先生!おっしゃていることは、つまりこういうことですね!」などと発言して、「教師」を喜ばすことも必要でしょう。
 こういう「よい生徒」は、いろんな「教師」に教えたいと思わせるでしょうから、仕事がいっぱいきていいでしょうね。


 なんとなく、私はプロの「生徒」になってみたいような気がします。世の中には日の当たらない研究をされている人たちが多くいることでしょう。また、常識では考えられないようなことを真剣に信じて、それの裏づけに情熱を燃やしている人たちもいるでしょう。
 「すでに宇宙人は地球に来ている。」とか、「太陽の裏側にもう一つの地球がある。」とか「本当はアポロ11号は月に行かずに、地球上のスタジオのセットで映像を撮影した。」などなど、常識では考えられないようなことを真剣に研究している人を先生にして学んでみたいです。もちろん、報酬をもらうのは私「生徒」ですから、「先生」が喜ぶように、真剣に学び、「先生」が喜ぶような受け答えをします。


 でも・・・、実際にこんなことをしたら、精神状態を正常に保つのはむずかしいかもしれませんね。


                             2004. 2. 2
 
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