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しんのすけエッセイ 22
実存主義と構造主義:レヴィ=ストロースさん、ありがとうございました
構造主義の大家、レヴィ=ストロース氏がお亡くなりになりました。100歳だったんですね・・・。
”この本と巡り会ったから生きていける”っていう本が、私には何冊かあります。
そのひとつ(最たるものですが)は、V.E.フランクル氏の「夜と霧」です。
ナチの収容所に入れられていたユダヤ人精神学者の著作です。
極限状態にありながら人々を医師の立場から観察し、当時の様子を私たちに伝えてくれています。
そこには、どんな苦しい状況にあっても、人には、希望、愛、勇気、優しさがあることを教えてくれています。
20代前半に読み、強烈な影響を受けました。このフランクル氏の考え方で、自分は一生乗りきっていけると思っていました。
あるとき、哲学通の知人とお酒を飲みながら、私はいかに、フランクル氏の思想がすばらしいかを語っていました。
すると、知人はこう言いました。
「実存主義はなあ、差別を助長するんや。」
当時の私はよく意味がわからなかったのですが・・・。
その後、知人の言葉の意味がわかるようになってきました。
やはり、どんな素晴らしい人でも、"生きている時代"というものを超越することはできません。
フランクル氏は実存主義者でした。
実存主義の特色の一つは、このようなものです。
内田樹氏の「寝ながら学べる構造主義」から引用させていただきます。
「(サルトル[←実存主義の大物哲学者]の"参加する主体"は)与えられた状況に果敢に身を投じ、主観的な判断に基づいておのれが下した決断の責任を粛然と引き受け、その引き受けを通じて、「そのような決断をなしつつあるもの」としての自己の
本質を構築してゆくもののことです。これはたいへん凛々しい生き方だと言えます。」p143
上のような言葉で形容される人々が少なからず、ユダヤ人強制収容所に実際にいたことが、「夜と霧」に書かれています。
しかしまた、上のような言葉を、最近よくニュースなどで耳にする、腐敗した組織に属する人々にあてはめて考えると・・・意味が180度違ってきます。
「いやいや、正しい組織の構成員なら問題ないよ」とおっしゃるかたもおられるでしょう。でもその正しさっていったい・・・。
ここで、実存主義に対抗するかたちで構造主義に登場願います。
また、内田樹氏の「寝ながら学べる構造主義」より引用します。
「構造主義というのはひとことで言ってしまえば、次のような考え方のことです。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。(中略)
むしろ私たちはほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。」p25
これでいくと・・・
先ほど書いた、ナチの収容所で頑張った人々。彼らがの信念、人間愛、勇気、優しさなどの価値は、単に、彼らが属した社会集団が価値を置いていたことであって、普遍的なものではない、ということになります。言ってみれば、どこか未開の島に独
自の生活を営んでる人たちが、勝手に彼らなりの価値としてあるものと変わらないということなのです。社会構造が人間を作るのだということです。
なんと、乱暴なと思われるかもしれません。
しかし、構造主義はこれよりさらに高い段階へ進みます。
レヴィ=ストロース氏はフィールドワーク等から、なぜすべての社会で近親婚が禁止されているのか(自分の娘は他の家や部族、社会へ送り出さねばならないというルール)を、贈与と返礼の観点から解き明かします。
それは、「人間は自分が欲しいものは他人から与えられるという仕方でしか手に入れることができない」という真理 p163
「何かを手に入れたいと思ったら、他人から贈られる他ない。そして、この贈与と返礼の運動を起動させようとしたら、まず自分がそれと同じものを他人に与えることから始めなければならない」 p163
経済活動の始まり、それはまず誰かが贈り物をしたのが始まりだったのでしょう。自分のものは誰にも渡さないという人や社会は淘汰され、消えてしまったのでしょう。
実存主義は、「これが正しいことだ、だからこうすべきだ」と言います。これが知人の、実存主義は差別を助長する、の意味だと思うんです。価値観の押し付けですからね。
構造主義は、「正しいことって、時代や、地域でまちまちやん。歴史をみればわかるし、世界のいろんな社会をみればわかる。だから、他人に一方的な価値観を押し付けるなよ。でもなあ・・・自分勝手で強欲なヤツは滅ぶんやで・・・。」と言います。
フランクル氏に教えてもらったこと、そして、レヴィ=ストロース氏に教えてもらったこと。私の宝です。
追記
実存主義と構造主義の関係って、地球が平坦と思っていたころの考え方と、地球が丸いわかってからの考え方との関係に似てると思うんです。
普段は地球は平坦という考えで生活上、困らないですよね。しかし、時代が進み、交通や情報伝達が発達すると、海外旅行での時差や海外の知人との生活している時間差を考えなくてはならない。
第二次大戦ころまでは、みんなこれで正しいっていうのでなんとかやっていけた。でも戦後、ヨーロッパの植民地の相次ぐ独立等で、みんなが共通にもつ正しさのあり方が変わった。
そんな感じだと思うんです。
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