英語学習記 メニューへ


モーラの呪縛と「グ・リ・コ」


 とにかく、外国語の勉強は最初のころに難関がやってきます。ここでは、そのひとつの例をお話したいと思います。

 「グリコ」という遊びを子供のころ、されませんでしたか?このあそび、地方や年代により違いがあるようなのですが、だいたいは同じです。
 何人かでジャンケンをし、グーで勝った場合はグ・リ・コと3歩進みます。チョキで勝ったらチ・ヨ・コ・レ・イ・トと6歩、パーならパ・イ・ナ・ツ・プ・ルと同じく6歩進みます。
 こんなことをしながら、ゴールにだれが一番にたどり着くかということを競うわけです。

 この「グリコ」という遊び、日本語のようなモーラ言語でしか成り立ちません。
 モーラ言語とは何ぞや、と思われるでしょう。(お時間があれば、このページ下の参考URLをクリックしてみてください。)
 モーラ言語の特徴としては、拍が一定であるところがあげられます。たとえば、パイナップルなら、「パ」も「イ」も同じ長さ、それどころか、実際は声を出さない「ッ」も無音で拍は同じです。日本語を知らない人には、日本語は機関銃のような音に聞こえるそうです。

 世界のほとんどの言葉はモーラ言語ではなく、音節言語であります。音節言語では、たとえば、いまみなさんがお使いのマウスの「クリック」という言葉は、ひとかたまりのものとして認識されます。モーラ言語の日本語では4つに分かれてしまいます。
 ほかにも「ドロップ」とか、「クラック」とか、言い出したらほとんどの言葉において、音節言語としてとらえる場合と日本語としてとらえた場合に、拍数の違いを見ることができます。

 では、音節言語の、たとえば英語圏の人がむりやり「グリコ」で遊んだらどうなるのでしょうか。
 私が思うに、パ・イ・ナ・ツ・プ・ルは6歩でなく、2歩ですね。
 チ・ヨ・コ・レ・イ・トも6歩になりますが、英語では2歩ですね。
 グ・リ・コはどうなんでしょう。英語では1歩か、2歩でしょうね。

 ひとつの音節を分解してカタカナ的に理解する頭を作ってしまうと、英語は聞き取れないです。日本で育つと、幼少のころの、グリコという遊びはもちろん、中学校においてもモーラな英語を教え込まれてしまいます。

 日本語と英語では、根本的に違うところがあるのだ、というところを飛ばして学習をはじめると、ある程度進んだところで”?”となってしまい、そのころにはスタート地点に戻る気にもならず、結局わからなくなり、学習を放り出してしまう、ということになりがちです。

 先へ進むだけでなく、バックするというか、深く地中へ掘り進むというか、当たり前と思われているところをさらに深く、土台部分にもぐりこんでいくような勉強法は非常に大切であると思います。

 外国語の勉強はまるで、ジクソーパズルに似ています。
 とにかくはじめがたいへんです。



参考URL
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%A9
http://www.physics.ucla.edu/~grosenth/05Ando%28126-129%29.sjs

以下の文章は
http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/month?id=5123&pg=200204
さんから引用させていただきました。

日本語の特長

拍の言語(モーラ言語)であると言うこと。
まずは、音節の長さが同じ(等張性)と言う特徴。
例えば、hakoneという言葉を例にとってみれば、は-こ-ね と言う音の長さは同じだよね。他の言語では音節ごとに伸ばしたりとか言うのがあるんだけど、日本語は、そりゃあイントネーションとかはあるんだけど、音節は一緒。モリシマさんもタチバナさんもオカモトさんもね。一音一音の長さは一緒でしょう?




             英語学習記 メニューへ